第6講 表現の怪

最終更新: 2019年3月1日

何かを意図して表現しても、なかなか相手は期待通りの内容に理解してくれないものです。特に、情報がマスコミなど第3者の手に渡って2次加工される場合、思いもよらない方向に姿形が変化してしまうことがあります。そう覚悟して取り組まなくてはなりません。


サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂からヴェッキオ橋へと歩く途中に、ヴェッキオ宮殿がありました。簡素な外観ながら、かつてフィレンツェ共和国の政庁舎やメディチ家の住居に用いられ、現在はフィレンツェ市庁舎となっています。中央の塔からはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を側面から間近に眺望できるそうです。今回は入場すら試みませんでしたが、次回訪れる機会があれば、塔にも登ってみようと思います。

情報は操作される

前職で私が企画広報課(情報企画課の前身)に所属していた頃です。世界的に経済が冷え込んでおり、建設業界もそのあおりを受けて厳しい状況が続いていました。そんな中、記者団に対して決算発表が行われました。経理部の職責なのですが、記者発表ということで当時の私の上司が同席しました。私は出席していないため、現場の状況には全く関知していないのですが、翌日新聞に掲載された記事を見て、情報の化け方に背筋が凍る思いでした。


2種類の日刊紙で、記事の見出し(一番大きく表示される題目)がこう違っていたのです。

A紙:「○○社、減収」      B紙:「○○社、増益」


あなたが読者なら、どうお感じになりますか? 続くリード文(記事の要約)を読むまでもなく、両紙の見出しから受ける印象は、全く逆方向に振れるのではないでしょうか。


「減収」を打ち出せば、「結局は景気の影響を受けて業績が落ち込んだんだ」となります。一方、「増益」を打ち出せば、「こんな厳しい経済環境下でも利益を増やしている。なんて賢い経営を行っているんだ!」となるはずです。事実は「減収増益」なので、両紙とも決して嘘を報じている訳ではありません。しかし、その切り取り方と表現方法によって、読者に与える印象は操作されてしまうのです。意図の有無はどうであれ、起こり得る現象です。


例えば、机の上に円錐の立体模型を置きました。Aさんが真横から見て、Bさんが真上から見たとしましょう。2人が別角度から絵にすると、同じ物体を見ても、Aさんは二等辺三角形、Bさんは円を描くでしょう。2人共間違ってはないけれど、本質は伝わりません。


ヴェッキオ宮殿はL字形のシニョリーア広場に面しており、すぐ右脇に建つ3本のアーチ柱が特徴的なロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)には、等身大の芸術的彫像が数々展示されています。

伝言ゲームを制す

一度発信者から放たれた情報は、それを受け取った人のフィルターで色が付き、2次加工されながらどんどん独り歩きを始めます。まるで伝言ゲームです。


例えば、絵を描いて伝言する場合、"自分が表現したい" 内容ではなく、"相手に受け取らせる" 内容を描くのです。そのためには、相手が認識した状態から逆算し、発信内容を企画しなくてはなりません。


少しでも受信者の立場に近づいて発想することで、こちらの狙い通りに誘導する確率が高まるのです。


認識を操作する

自己表現を目的とする芸術家と異なり、事業における情報発信は、中間介在者の壁を何層かすり抜けた後、最終的に辿り着く相手の認識を狙い通りに創り上げることを目的とします。


中間介在者は、先の例では新聞記者などが該当します。最初に発した情報が彼らに届くと、記者なりの理解に基づいて、否応なしに2次加工が施されます。その情報を、今度は新聞の読者が受け取るのです。そこで終わりではありません。新聞を読んだ人物が、家族や同僚に3次加工して伝えることになるのです。


本編で用いた「源清ければ、流れ清し」という格言は、最初の情報が変化せずに伝わっていくという甘い認識を意味しているのではありません。最下流でも清いまま保つことができるくらいに、水源の品質を極めて高いレベルに保っておかねばならないという意味です。


情報発信者は伝えたい本質を適正に表現するだけでは不十分で、受信者の認識を手助けする工夫を情報の構成や表現に盛り込む必要があります。先の受信者が認識を上手にパッケージ化し、新鮮な状態で次の受信者に手渡していくお手伝いをするのです。認識のリレーです。相手の認識を創り上げるために、我々は情報を発信するのです。


変質しにくく認識しやすい情報を創る。